現在の首都圏は、東京都を中心に、埼玉県・神奈川県・千葉県などが鉄道や道路で結ばれた巨大な生活圏です。
しかし、歴史をさかのぼると、現在の埼玉県と東京都のほぼ全域、そして神奈川県の川崎市・横浜市の大部分は、かつて「武蔵国(むさしのくに)」という一つの国に属していました。
その武蔵国の一宮として知られるのが、さいたま市大宮区に鎮座する武蔵一宮氷川神社です。
なぜ大宮に、これほど長い歴史を持つ神社があるのでしょうか。そして、千葉県も含めた現代の首都圏を、私たちはどのように考えればよいのでしょうか。
今回は、武蔵国と氷川神社の歴史を入口に、首都圏の未来について考えてみます。
1.埼玉・東京・横浜は、かつて一つの国だった
武蔵国は、古代の日本における地方行政区分の一つでした。
その範囲は広く、現在の埼玉県と東京都のほぼ全域、神奈川県の川崎市・横浜市の大部分を含んでいました。
現在は別々の都県に分かれていますが、歴史的には同じ武蔵国という枠組みの中にあった地域が多いのです。
武蔵国の国府、つまり政治の中心となる役所が置かれていたのは、現在の東京都府中市でした。現在の東京が日本の政治・経済の中心となっていることを考えると、興味深い歴史です。
もちろん、古代と現代では人口も交通網も行政制度も大きく異なります。昔の国の範囲が、そのまま現代の首都圏の姿を決めているわけではありません。
それでも、現在の都県境だけでは見えにくい地域のつながりを知ることができます。2.大宮氷川神社は、武蔵国の一宮だった
武蔵国の歴史を語るうえで、ぜひ取り上げたい場所があります。
それが、さいたま市大宮区にある武蔵一宮氷川神社です。
氷川神社は、武蔵国を代表する神社として広く信仰を集めてきました。神社の公式資料によれば、氷川神社の名を持つ神社は、埼玉県や東京都、神奈川県などを中心に約280社に及びます。
また、「大宮」という地名も、氷川神社を「大いなる宮居」と称えたことに由来するとされています。
つまり、大宮という街の名前そのものが、氷川神社の歴史と結びついているのです。現在の大宮といえば、新幹線が集まる交通の要衝であり、商業やビジネスの拠点というイメージが強いでしょう。
しかし、その街の歴史をさらにさかのぼると、武蔵国の信仰の中心としての顔が見えてきます。
大宮は、単に鉄道の利便性によって発展した街ではありません。長い歴史を持つ神社と、その門前に形成された街の歴史も、大宮を理解する重要な要素なのです。3.「首都を守る」という視点で氷川神社の歴史を考える
ここで、氷川神社についてもう一つ注目したい点があります。それは、東京との歴史的な関係です。
明治時代に東京へ都が移された後、明治天皇は氷川神社を武蔵国の鎮守として特別に位置づけ、1868年には自ら祭儀を執り行いました。この出来事からも、氷川神社が武蔵国を代表する重要な神社として扱われていたことがわかります。
ただし、氷川神社が「首都防衛のために創建された」と断定できるわけではありません。神社の創建や信仰の起源には古い伝承があり、東京遷都よりもはるかに長い歴史があります。それでも、武蔵国の総鎮守として信仰を集めてきた氷川神社が、東京に都が置かれた時代にも重要な位置を占めたという事実は、興味深いものです。
首都を支える地域という視点で考えれば、東京の周辺には、政治や経済だけでなく、歴史・文化・信仰を通じて首都圏のアイデンティティーを形づくってきた場所があります。
大宮も、その一つといえるのではないでしょうか。
https://go2senkyo.com/seijika/198549/posts/1539195
群馬県 「嫌です」
島根や奈良は文化の中心だった、
なんて話が出てくるだろ
戦艦さいたま
江戸城放棄で徳川武士は静岡に追放されて茶農家になって
行く当てのない底辺だけが取り残されたゴーストタウンになってたからな
小野神社とかその辺によくある様なしょぼい神社で氷川神社にとても及ばないのは間違い無いが
埼玉東部の端っこも下総だけど
「永代橋を渡るとそこは江戸」だしな
それから外は江戸じゃなかった
わたしのご先祖様も割と怪しい
埼玉も神奈川も武蔵国ってことだな

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