ノッティンガム大学C.P.フッド教授の著書は、1985年の日航123便墜落事故を通じ、日本の災害対応と調査体制の欠陥を分析している。
公式調査は「隔壁修理ミス」を原因としたが、著者は日本語資料から矛盾を多数発見。異常発生後32分間の飛行で乗員が酸素マスクを使わず、低酸素症説は不十分とし、実際は油圧喪失による操縦困難が要因とみる。
事故調はボーイング社の影響下で重要証拠の検証を曖昧にし、結論先行の調査姿勢を批判。さらにボーイング777の安全認証の95%を同社に委託する構造的問題にも言及する。
相模湾や現場には未回収の物証が残る可能性があるが、本格調査は行われず、後部隔壁の展示品にも不審点が多い。墜落後は米軍の救助支援を拒否し、14時間の遅延で多くの命が失われた。
事故は日本社会の官僚制、外国支援拒否、企業癒着、メディア忖度、国民の無関心を映す鏡であり、真実追及なしに安全は実現しないと警鐘を鳴らしている。
https://x.com/Alzhacker/status/1955112769331904634
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ラウトレッジ『日本における災害対応:JL123便墜落事故への対応』Christopher P. Hood (ノッティンガム大学) 2012年
~520名の命を奪った「修理ミス」は本当だったのか
「これは単なる事故ではない。殺人だ」事故現場の重要証拠を目撃したある関係者
「ボーイング777の認証において、95%の作業がボーイング自身にアウトソーシングされた。これは学生に自分で試験問題を作らせ、採点もさせるのと同じである」
1985年8月12日に発生した日航123便墜落事故の公式調査に重大な疑問が残る。ノッティンガム大学のクリストファー・フッド教授による本書は、単独機事故として史上最悪の520名死亡事故について、日本の災害対応システムと調査体制の構造的問題を詳細に分析した研究書である。
本書は、日航123便墜落事故を通じて日本社会の災害対応能力を多角的に検証した学術研究である。著者は当初、事故原因の詳細な議論は予定していなかった。英語圏の情報源では公式調査の結論に疑問を呈するものがなかったためである。しかし日本語文献を読み進めるうち、事故原因について重大な疑問が数多く存在することを発見した。
事故機は18時24分に異常が発生してから32分間飛行を続けたが、この間の急減圧に関する公式説明には矛盾が多い。高度20,000フィート以上で酸素マスクなしでは意識を失うはずだが、コックピットクルーは酸素マスクを使用していない。公式報告書では限られた会話が低酸素症の証拠とされるが、実際には油圧系統の完全な喪失により操縦に全身の力を要したため会話どころではなかったと考えられる。
✅ ボーイング社の過度な影響力と調査体制の欠陥
事故調査を担った航空事故調査委員会(AAIC)は、ボーイング社の強い影響下で結論を導き出していた。最も重要な証拠である圧力開放扉について、AAICは自らのテストで「正常に作動したか判明しない」と確認した。それにもかかわらず、「設計上開くようになっているから開いたはず」という論理で、ボーイング社の主張を追認した。
これは科学的調査ではなく、予め決められた結論に合わせた帳尻合わせに過ぎない。更に驚くべきことに、ボーイング777の安全認証では95%の作業がボーイング自身に委託されている。学生に試験問題を作らせて採点もさせるような、この異常なシステムがいまだに続いている。
✅ 相模湾に残る物証と再調査の必要性
1985年、事故機の重要部品が相模湾に墜落した。しかし海底調査は表面的なものに留まり、決定的証拠の回収は行われなかった。航空機の専門家によると、適切な防錆処理が施されていれば重要な証拠が今も海底に残っている可能性が高い。
更に疑問なのは、墜落現場で発見された後部隔壁の状態である。報道では「5つに切断された」とされたが、安全推進センターに展示されているのは2つのピースだけ。切断・再接合の痕跡も見当たらない。ある関係者は「これは123便のものではない」と断言している。
✅ 14時間放置と米軍救助隊派遣拒否の代償
墜落から生存者発見まで14時間。この致命的遅延の背景には、日本の災害対応システムの根本的欠陥があった。米軍は墜落2時間後には現場付近にヘリコプターを派遣していたが、日本政府は救助支援を拒否。
1923年の関東大震災から1995年の阪神大震災まで、外国支援を拒み続けてきた日本の「伝統」が、ここでも貫かれた。官僚組織の縦割り、合意形成重視の意思決定システム、専門性より人事ローテーションを重視する人材配置。これらすべてが重なり、救助可能だった命が失われた。
📌 日本社会の災害対応能力と記憶の政治学
JL123事故は日本社会の闇を映し出す鏡である。政府と企業の癒着、メディアの忖度、そして国民の無関心。520名の犠牲者が眠る御巣鷹の尾根には、今も多くの人が慰霊に訪れる。しかし、彼らの死を無駄にしないためには、美しい追悼儀式より厳しい真実追求が必要だ。
事故から40年が経とうとする今、私たちは問わなければならない。果たして日本は、本当に安全な国なのか。それとも、都合の悪い真実を隠し続ける国なのか。
参考文献:Dealing with Disaster in Japan: Responses to the Flight JL123 crash (2012) – Christopher P. Hood
さらに短縮版
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ノッティンガム大学フッド教授の著書は、日航123便墜落事故を通じ日本の災害対応と調査の欠陥を分析。
公式調査はボーイング社の影響を強く受け、重要証拠の回収も不十分。
墜落後、米軍の早期救助提案を拒否し14時間放置するなど、官僚制や外国支援拒否の慣習が多くの命を失わせたと指摘。
事故は政府・企業癒着や国民の無関心を映す鏡であり、真の安全確保には事実の徹底追及が不可欠と訴える。
生存者が見つかってから公務員ぐるみで証拠を隠滅したって話
なかなか信憑性あるよな
有名なテープも本来なら焼却されたものだったからな
隠蔽必須な話でもない
パイロットのテープを焼却しようとした理由は不明だが
その他大量の資料も消されてるんだろ
まあオレンジエアーなんかも相当馬鹿げてるけどな
しかし実際は、目撃情報から長野県警が割り出した墜落地点が全く間違っていて、みんな別の場所を探していたと
当初は長野県北相木村の御座山と発表されていた
遺族がキレてるのもここよね
ガセ情報でバラまいて救助遅らせやがってと
全然違う
位置は米軍や空軍の情報から分かってたが夜間なので待機させてただけ
遺族が切れてんのは政府が情報を隠してるからだよ
米軍も自衛隊も墜落地点がわかっていただけ
ただ、墜落地点がわかったからと言って客観的で正確な位置情報まではわからなかった
当時の技術では「地図で言うと大体このあたり」ということまでしかわからず、その「このあたり」も範囲が広すぎた
ヘリが降り立つ場所もないので陸から行くしか方法がなく、客観的な細かい位置情報を指し示すことはできなかったので、長野県警の目撃情報を元にした位置情報を当てにするしかなかった
そして、それが間違っていた
だから夜間は二次遭難懸念で動くなっつー待機令が出てたんだよ
朝方になって自衛隊、メディア&消防が数時間かけて登って普通に現場到着しとる
もっと救助が早ければどうなってたのか
動機だけはわからんけど
自衛隊の誤射説かな?とは思うが
他は政府が隠蔽するには説得力が弱いような
その後、事故の発覚を恐れた自衛隊による隠蔽工作で、JAL123便は航空自衛隊により撃墜された ってことらしいな
事故調査委も最初は馬鹿なwつってたんだけど、米の圧力で渋々認めた
そのデータが矛盾してるってのが>>1の趣旨な
圧力隔壁破壊で尾翼がすっ飛ばないのは翌年のタイ便爆破事件で証明済
こっちはガチの急減圧が起こって流血沙汰になってる
> 異常発生後32分間の飛行で乗員が酸素マスクを使わず、低酸素症説は不十分とし、実際は油圧喪失による操縦困難が要因とみる
小規模な破壊だし、白い霧が出ている写真も残ってるし
なんかネ.ト.ウ.ヨの陰謀論レベルだなこいつ
藤岡信勝とか東中野修道的な物の考え方だわ
機内から写真撮られてるんだよな
まつゆきのレーダーテストをするためファイアービーを飛ばしたわけ
それが日航機に当たった
それをファントム2機は追いかけてた


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