農耕稲作社会の日本人とは異なる異質な集団であった
ヤマト王権の坂上田村麻呂によって「討伐」されたのがいわゆるアテルイの闘いである
東北地方には北海道のようなアイヌ語地名があまりにも多い
ユネスコ世界歴史遺産でもある三内丸山遺跡の「三内」もそうだし岩手県の安比高原、秋田県の十和田湖、宮城県の達居森に山形県の尾花沢や遊佐、福島県の豊間などがそうだ
余談ではあるが節分の「鬼は外、福は内」の鬼は、ヤマトの人々が討伐した東北の蝦夷を表しているそうだ
東北は鬼の地域だったのだ
栃木から福島県に入る「白河の関」は、その中でも象徴的な場所であった
歴史的に、白河以北一山百文という言葉があり、それは中央政府にとって白河の関所より北(=東北地方)は1つの山でも百文ほどの価値しかない土地であるという植民地的な蔑視の意味合いがあった
それを逆手にとらえて屋号にしたのが東北地方のブロック新聞の「河北新報」。いまもその考えが根深いため甲子園で東北が優勝すると「白河越え」として大ニュースになるのである
茨城から浜通り(福島県沿岸部)には「勿来の関」という関所があった
勿来というのは現代語でいえば「ここに来るな」という意味だ
ここより先は晩族の地を意味するいにしえの時代の人々の東北蔑視の露呈である
いい着眼点だ。そして疑問が生じる。なぜ「東北」なのかと
東北人にとってはそこが地元であり、中心地のはずである
首都は東京であるから、東京政府から見た方角なら「北方地方」の方が望ましい
実はこれ、京の都からみて東の北でから、東北というわけなのである
実に支配する側に都合がいい地名であり、地域主権と真逆なのである
みちのくは漢字にすると「陸奥」。つまり陸地の最果ての奥地であり、五畿七道ある道の最果てということなので、結局それも都から見た僻地の意味であり、逃れられないのである
大日本帝国の最初の植民地が東北地方であるといってもいいだろうね
東北が新政府の「支配下」になり、搾取され、負けた軍人たちは「屯田兵」として北海道に飛ばされて開拓と警備を命じられた。そしてそれが樺太に、満州開拓にと続いているわけ
極めつけが明治維新。佐幕派だった東北地方は西軍(新政府)に次々と切り崩され、
東北全土が西軍によって蹂躙されながら同じ東北の藩同士が裏切り、いがみあい、殺し合いを繰り返し、結果的にすべてが新政府の支配下となったわけである
その流れは植民地そのものだ
戊辰戦争ですよ!決まってるじゃないですか。戊辰戦争で、奥羽越列藩同盟が賊軍になって、それからあと150年間、中央政府によって有形無形の差別を受けてきたからですよ。東北の出身者は中央に上がっていけなかったんですよ。政界でも官界でも財界でも・・・。明治の藩閥政治の間は、東北出身者にはエリートへのキャリアパスは存在しなかったんです。だから、原敬は爵位を拒否したんです。あれは東北人の意地なんです。私は薩長藩閥が作った政府が出す勲章なんか要らないって。原敬の号は「一山」っていうんだけど、あれは「白河以北一山百文」、東北地方は地価ただ同然という明治の東北差別に対する原の抗議のしるしなんです。
僕は、四代前が庄内藩士、三代前が会津藩士という賊軍の系譜の直系ですから、東北人の悔しさはよくわかるんです。東北人の屈託は内田家の家風ですから。「われわれは日の当たらないところに置かれている」という。東北人である限り、いくら努力しても報われないっていう。
だって考えてみてくださいよ、東海道新幹線の開通が1964年でしょ。東北新幹線の開通は2010年ですよ。半世紀遅れてる。
福島も地元が原発を誘致したわけだけれど、それは地元に産業がないからでしょう。産業がないのは福島県人の自己努力が足りないからじゃなくて、戊辰戦争以来150年間の、東北に対する政治的・経済的な制裁の結果なんですよ。東北にはチャンスが与えられなかった。
六ヶ所村ってあるでしょ。あれは昔の斗南藩の領地なんです。会津藩が戊辰で負けた後に、改封されて極寒の下北半島の原野に移された。不毛の荒地に。吹雪が吹いて、食べるものもろくに採れないところに会津藩士たちは追いやられ、そこでずいぶん餓え死にした。その斗南藩のところに今六ヶ所村の再処理施設があるわけですよ。産業が何もないところに。農作物も育たないし、自然資源もない。そこで生きていかなきゃいけない人たちがいる。だから、「よごれもの」を引き受けるという誘いに手を上げざるを得なかった。他に生きる道がないんだから。
そういうふうに、ある種政治的な意図をもって、政府のどんな要求に対しても断ることができないくらい貧しい地域が作り出されているんですよ。そこに嫌なことを全部押し付けられるように。
http://blog.tatsuru.com/2013/04/22_0928.html
明治の新政府を作ったのは西国諸般である。政府要人には西国出身者が多い。大久保利通の末裔の麻生太郎しかり、石破茂も岸田文雄も安倍晋三も西国出身者
日本経済を牛耳る大企業も、明治の政商岩崎弥太郎の三菱はじめ、西日本系の資本がほとんどを占めている
一方で、そのような支配構造のもとで働かされる側、東京首都圏に生きる人間のほとんどは、東北地方出身者である
だから、沿線が過疎地しかないのに、お盆と正月の帰省ラッシュの時だけ、東北道や東北新幹線は、東名・東海道並みに混雑する
いや、「過疎化された」と言えるのである。地元に産業を構築させず、大量かつ安価な労働力と食料をかき集める土地として、東北地方は150年利用され続けたのではないかと
本来の東北本線ルートなら途中に八戸という20万都市があるのに、田舎しかないこっち側を通る意味がわからない
これがずっと疑問だった。合理性がまったくないから
けどよく考えると気づくんだよね
秋田藩は官軍、弘前の津軽も官軍で、南部は大賊軍だから
県土を横断する山形自動車道は県庁所在地の山形市を越えると途中で終点となり「月山越え」で規格の低い下道の峠を走らされて、超えた先でまた山形道がはじまって酒田に抜ける作りになっているの
昔から内陸エリア、庄内エリアで徐々にちょっとづつ延伸を繰り返してきたが、月山は整備されず打ち止め、固定化されている。1本につなげればいいので
これは庄内が賊軍だから、冷遇されているのではないのか?
不思議である。新庄など人口3万都市でしかない。山形県の第二都市、第三都市はともに10万都市の酒田市、鶴岡市であり庄内地域のほうが人がいるのに
これだって理由は同じ。庄内は賊軍だが、新庄は官軍なのだ。「秋田県の横手方面まで延伸する」声さえあるけど、秋田藩も官軍
タタガイじゃなければ面白いお話してるなぁって思うんだけどさぁ……
ちなみに新政府の薩摩の権力やや鎌倉幕府の源頼朝が朝廷から勅を渡された背景をみると
日本の歴史で東北地方が政治的権力を持つ組織とのコミュニケーションが取りづらい場所だったことも関係してくると思うよ
その辺は勉強不足だ
詳しく知りたい
政治的中枢との連絡タイムラグにより実権にはいれず
社会的に遅れを取った地域って言うのが積みかさなった場所だったってこと
日本国の地域性こそ重要だろ
政治の中枢の席を権力者は守りたいだろうから席取りを継続しやすい方法をノウハウで取り入れるよね
統一教会とか使ったり







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