- 1 : 2021/08/15(日) 22:39:21.23
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https://digital.asahi.com/articles/ASP853CYBP75PTIL007.html
「先生、お会いしたいです」 植民地で教えた私に手紙が
立山連峰をのぞむ富山市郊外のサービス付き高齢者向け住宅。ここで暮らす杉山とみさんは7月で満100歳の誕生日を迎えた。
自室の箱には、韓国から届いた手紙の束が詰まっている。かつての教え子から届いたものだ。「先生、体に痛いところはないですか。お会いしたいです」。韓国語と日本語が交じった文面でつづられている。
「韓国は私にとっては、ふるさと。教え子たちはとても情が深いんです」
そう目を細める杉山さんは1945(昭和20)年8月の敗戦までの4年余り、日本が支配した植民地朝鮮で国民学校(小学校)の教壇に立った。戦時下の皇民化教育。朝鮮の子どもたちを立派な日本人にするのが教師の使命と信じた。
戦後は、戦争教育に関わったことへの自責の念にさいなまれ、教え子との再会を通じて、その苦しみを和らげていく。杉山さんが歩んだ人生は、戦後76年が経過し、戦争を体験した世代が少なくなるなか、貴重な歴史の証言として現代に重く響く。
父・源次郎さんと母・さとさんは富山県旧杉原村で本家の田畑を耕していた。日本が大韓帝国(当時の国号)を併合した後、父は単身、海を渡って朝鮮で生活基盤を築いた。母は四つ上の兄・正雄さんを抱いて後を追った。
両親は朝鮮半島南西部、全羅南道の霊光の農村を新天地に定め、果樹園を経営した。やがて21(大正10)年、杉山さんが生まれる。
霊光で暮らしたのは3歳ぐらいまで。兄が小学生になったが、自宅から歩いて通えないほど遠かった。両親は子どもの教育のため都市への移住を決め、果樹園を手放すことにした。
「生まれ故郷」の穏やかな農村風景は、果樹園の道沿いに咲く白いアカシアの花とともに、杉山さんの脳裏にかすかに浮かぶ。
一家は朝鮮半島南東部にある慶尚北道の中心都市、大邱に移り住む。両親は市中心部の「元町1丁目」に帽子店を構えた。屋号は富山の「富」の字をとって「富屋帽子店」にした。
店では2人の朝鮮人の青年が住み込みで働いていた。両親とも朝鮮語は話せず、朝鮮人の来客があると2人が応対した。「和吉」「一郎」という日本式の名前で呼んでいた。
自宅兼店舗があった目抜き通りの商店主は、ほとんどが日本人だった。朝鮮の人々の多くは日本人に使用される立場で、少し離れた地域に集まって住んでいた。杉山さんの幼少期の記憶に残るのも日本人ばかり。朝鮮人の子どもと遊んだ記憶はない。
大邱に限らず、植民地朝鮮に移住した日本人は固まって生活し、和風の家屋が立ち並ぶ「日本人街」を形成した。日本人と朝鮮人の子どもが通う学校もほとんどが別々で、杉山さんが通った小学校や高等女学校の同級生も日本人だけだった。今考えると、「いびつな植民地」だった。
「併合については『仲良しだから、日本と朝鮮は一緒になった』と、子どものころ学校で教わりました。だから、罪悪感なんて少しもありませんでした」と、杉山さんは振り返る。
女学校時代でよく覚えているのは「内地」への修学旅行だ。朝鮮で生まれ育った杉山さんにとって、内地は「心しびれるような憧れの地」だったという。
韓国併合日本は明治期、朝鮮の権益などを巡るロシアとの戦争を経て1905年、大韓帝国(当時の国号)を保護国にし、統監府(初代統監・伊藤博文)を開設する。外交権剝奪(はくだつ)や軍隊解散など支配権限を段階的に強め、10年8月の併合条約で植民地にした。
最終学年の5年生になった38(昭和13)年。日中戦争のさなかで、日本軍の「徐州陥落」を祝って昼は旗行列をし、夜は提灯(ちょうちん)行列で練り歩いた翌朝、慌ただしく出発した。釜山から船で下関に渡り、京都や奈良、鎌倉などを巡った。移動中、車窓から目にした朝焼けの富士山の姿は忘れがたい思い出になった。
当時の朝鮮では女学校を出ると、お稽古事など花嫁修業をすることが多く、母親も「職業婦人」などもってのほかと考えていた。
しかし、杉山さんは自立したいと望んでいた。学校の掲示板に「京城女子師範学校」の募集案内を見つけた。熱心な教員志望ではなかったが、受験を決めた。猛反対する母親を担任教師に説得してもらった。教壇に立つ岐路になった。
記者が杉山さんに会った理由
2016年8月15日、朝日新聞(大阪本社版)の読者投稿欄「声」の特集「平和と戦争」に、「『自分の国』一瞬で砕け散る」との見出しで、杉山とみさんの投稿が載りました。
日本と朝鮮半島の関係史を取材してきた記者は、ソウル在勤中(11~14年)を含め、日本支配下で「皇民化教育」を受けた韓国の人々や、植民地朝鮮で暮らし、戦後日本に引き揚げた人々の取材を重ねてきました。しかし、植民地朝鮮で教壇に立った方に出会う機会はありませんでした。 - 2 : 2021/08/15(日) 22:40:43.69 ID:+h2C72kZ0
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鏡像で文字を書くのは脳の障害じゃなかったっけ
- 3 : 2021/08/15(日) 22:41:08.28 ID:h9TuCE89M
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かわヨ
- 4 : 2021/08/15(日) 22:41:22.46 ID:V8bBzdc/H
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「し」とか「も」もJって書いちゃうしな
- 17 : 2021/08/15(日) 23:13:57.81 ID:kuZutdue0
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>>4
笑が止まらん
何でこんなに俺のツボに入ったのか - 5 : 2021/08/15(日) 22:41:28.80 ID:mjNXXZfsM
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キチゲェの見る世界は恐ろしいな
- 6 : 2021/08/15(日) 22:42:51.58 ID:8g5sG/610
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RもЯと書いちゃっちゃりするし大差ないやろ
アインシュタインもだっけ - 7 : 2021/08/15(日) 22:47:25.56 ID:HLkcL2Tn0
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「己」の一部分を略した物なんだから、すぐ分かるだろ
- 8 : 2021/08/15(日) 22:47:49.12 ID:y/ymClaud
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10年に1回くらいやるミスの1つ
- 9 : 2021/08/15(日) 22:48:50.37 ID:tmLyJD8a0
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平仮名の「こ」の書き方からしてコを間違えるのは不自然じゃね
- 10 : 2021/08/15(日) 22:50:20.28 ID:CGhdeqaP0
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ただの発達障害だよ
言語に依存せず一定の確率で発症する
治ることはないから気にせず暮らせ - 11 : 2021/08/15(日) 22:52:14.30 ID:cTv4pmal0
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ヨとEの方がややこしい
- 20 : 2021/08/15(日) 23:44:51.60 ID:N7dPv/+B0
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>>11
EMINヨM - 12 : 2021/08/15(日) 22:52:35.28 ID:9dCpUMyr0
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数十年くらい文字を手で書いてないからいざ書けと言われても戸惑うな
- 13 : 2021/08/15(日) 22:54:09.26 ID:4ttQIGcY0
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今なら学習障害の一つと理解されたのにな
- 14 : 2021/08/15(日) 22:56:34.05 ID:vpj5n8+M0
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日本語使えるのがそんな偉いのかと思うよ
嫌儲にいるけどおかしいとか言ってくるバカの話 - 15 : 2021/08/15(日) 22:57:29.31 ID:0u8JbEbW0
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「は」「ま」「ね」がごっちゃになったりするわ
- 16 : 2021/08/15(日) 23:04:36.05 ID:6Bh70Rzt0
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虐のEがいつもヨと迷う
- 18 : 2021/08/15(日) 23:15:12.03 ID:Heah108s0
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最近あとお間違って書くわもう歳だな
- 19 : 2021/08/15(日) 23:42:12.12 ID:Inz013aS0
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こいつが外人に生まれてもCをつと書いてキレてるだろうな
- 21 : 2021/08/15(日) 23:47:25.80 ID:aUecAKCpa
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自分は参とか冬とか形とか須の字の点々の方向をどうしても覚えられない
- 22 : 2021/08/15(日) 23:50:43.74 ID:kcZbqsrT0
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五毛は日本語の勉強してるんだな
- 23 : 2021/08/15(日) 23:52:08.70 ID:eWOKPUQV0
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トイザラスのRが逆の理由かよ
- 24 : 2021/08/16(月) 01:15:53.84 ID:YYojhkRB0
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識字障害
- 25 : 2021/08/16(月) 01:18:00.34 ID:1yXhycS40
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鏡文字は知的障害を伴わない脳性まひか学習障害の典型的な症状だな
視覚認知に障害があるかも - 27 : 2021/08/16(月) 07:55:11.91 ID:V5QIu3560
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syamuより頭悪そう
- 28 : 2021/08/16(月) 08:19:16.42 ID:NxUdUPDN0
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俺もなんか知らんけどこれだけは毎回迷う
EとヨやJとしは間違える事ないのに - 29 : 2021/08/16(月) 08:52:08.88 ID:GZ3YzDNm0
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ここまでガ●ジ
この先もガ●ジ
- 31 : 2021/08/16(月) 11:07:00.30 ID:f9j7cxZpM
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apしましたが可愛い
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