- 1 : 2022/05/13(金) 21:56:05.42 ID:nf8mnyoFa
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ソ連を崩壊に導いた一人、ウクライナ初代大統領レオニード・クラフチュク氏が死去…88歳
https://www.yomiuri.co.jp/world/20220511-OYT1T50263/amp/ - 5 : 2022/05/13(金) 21:57:06.82 ID:85EBWSju0
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クーデター起こした保守派
- 7 : 2022/05/13(金) 21:58:12.04 ID:nHmWtNiZ0
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誰が悪いとかじゃなく
体制の限界な - 9 : 2022/05/13(金) 21:58:57.07 ID:1G10nRlt0
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一説によるとUVERworldのTAKUYA∞らしい
- 12 : 2022/05/13(金) 21:59:50.55 ID:5qh5q62Wd
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彼の地はスターリンのように支配するしかないのだ
- 14 : 2022/05/13(金) 22:00:30.62 ID:PjCBFIcj0
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あれぼく
- 15 : 2022/05/13(金) 22:00:42.32 ID:5sjd3+0a0
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マルクス
余計な本を書いたから - 16 : 2022/05/13(金) 22:00:47.05 ID:h8eTmki70
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レーガンのスターウォーズ計画にビビって自爆した
- 17 : 2022/05/13(金) 22:01:20.95 ID:vZZtgV0S0
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スターリン
ナチスには勝ったが社会主義のイメージを悪くした
- 20 : 2022/05/13(金) 22:02:16.89 ID:eD7b3bFp0
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保守派のバカどもがクーデターしやがったせいだろ、しかも失敗ww
- 21 : 2022/05/13(金) 22:02:58.47 ID:GVo7RppC0
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誰っつーかチェルノブイリ事故だろ
曲がりなりにも先進国だったわーくにも公文書の隠蔽改竄が横行する土人国に生まれ変わったし - 23 : 2022/05/13(金) 22:03:18.13 ID:hQwQmX+0r
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<核戦争まであと数分>
ブレジンスキーは午前3時に目を覚ました。オドム(軍事補佐官)から電話に起こされたのだ。ソ連からアメリカに向け、220発ものミサイルが発射されたという。ソ連がミサイルを発射した場合、大統領はその連絡を受けた後、3分から7分のあいだに報復するか否かの決断をし、命令をしなくてはならない。ブレジンスキーはそれをよく知っていた。そこで彼は、大統領への連絡の前にまず、ソ連のミサイル発射が事実なのか、また指定の標的が本当にアメリカなのかを再確認するようオドムに指示した。
攻撃されたのなら反撃しなくてはならない。ブレジンスキーは同時に、戦略空軍の飛行機をすぐに出撃の可能な態勢にすることも指示した。オドムは二度目の電話で、再確認の結果、ソ連の発射したミサイルは2200発だとわかったと報告した。敵は全面攻撃に出たということだ。大統領に電話をする直前になって、オドムから三度目の電話がかかってくる。他の警戒システムからは、ソ連が攻撃してきているという報告はないという。結局、後にこれは誤報だったことが明らかになりましたが、そうした事態になっても不思議ではない状況に当時はあったということです。J・F・ケネディ時代の「キューバ危機」が、世界にとって最大の危機だったとよく言われますが、この時期もそれに匹敵するぐらい危機的状況にあったと考えられます。
- 24 : 2022/05/13(金) 22:03:48.43 ID:r56DmQsz0
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デビッドボウイがベルリンの壁でライブしたから
- 26 : 2022/05/13(金) 22:04:07.10 ID:9a+3m1qT0
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チェルノブイリ原発事故
- 27 : 2022/05/13(金) 22:04:18.17 ID:Bh1tk0jV0
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寿司屋じゃ握れない ペレス トロ イカ よー
- 28 : 2022/05/13(金) 22:04:28.15 ID:6jgG91iI0
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これロシア国民的にはゴルビーのせいになってるって聞いたけどマジかよ
- 29 : 2022/05/13(金) 22:04:33.07 ID:hQwQmX+0r
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カーター政権は、長く続いたイランのアメリカ大使館からの人質救出作戦に失敗し、支持率も40%まで落とし、人気はがた落ちとなります。こうして迎えた1980年末の大統領選挙、共和党の候補者だったレーガン側は密かにイランの指導者たちと接触し、アメリカ大使館の人質をレーガン政権発足後まで解放しないよう依頼したといいます。カーター政権は、平和路線からスタートしながら、右派の官僚たちによって右へ右へと舵を切らされ、終わってみると時代は最悪の状況になっていました。
特に1980年という年は、僕だけでなく多くの人にとって最悪の年だったかもしれません。(ジョン・レノンの死はそれを象徴する出来事でした)
カーターは大統領職を失ってから、政財界からの圧力を気にする必要がなくなり、北朝鮮訪問、キューバ訪問など孤立していた共産圏国家国々との交渉の窓口として大きな貢献を果たすようになり、それらの活動を評価され、2002年にはノーベル平和賞を受賞しています。皮肉なことに、「アメリカ大統領」という職が彼から自由な活動を奪っていたわけです。 - 30 : 2022/05/13(金) 22:04:43.66 ID:Dg5VV4SL0
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むしろエリツィンは民主化目指してただろ
後継者にプーチン選んだ事を後に後悔してたけど - 31 : 2022/05/13(金) 22:05:11.04 ID:irKa0F1F0
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チェルノブイリ原発事故だよ
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